おはようございます!
子供と公園で遊びんでいる時、思わず子供に言ってしまった自分の言葉に複雑な思いを感じております。
それは、虫や泥を触った時に、汚いので触らないでほしいというニュアンスの言葉でした。
私は別に潔癖ではなく、子供にも好きに遊ばせてやろうって思っていたはずなのですが、いつからこうなってしまったのでしょう?
目次
ことの経緯
セミの死骸をひろったこと
とある日の公園。
母と私と4歳の娘の雪ちゃんと、1歳の弟ユキくんと訪れました。
雪ちゃんがセミの死骸をひろい、祖母と何やら話していました。
雪はなにやらセミの死骸を棒でツンツンしています。
それを見た私は、
「セミの死んでるし、汚いからもう元のところにかえしとき~」
と言ってしまいました。
祖母の意見はまた違い、
「そんなん言ってたらなんにも触れなくなるよ。
それよりも亡くなっているのに可哀そうだから元のところにもどしておき~」
と言いました。
【セミをひろう娘】
その後、考えた雪ちゃんは、公園のレンガの上にセミを置き、周りに葉っぱをちぎって散らすのです。
雪「コレはセミのごはんやねん。これで天国で食べられるね。」
【セミの回りに葉っぱをちらす娘】
これを聞いた時、私は、あぁなんて心のない言葉を言ってしまったんだろうと後悔しました。
別に虫を触っても良いじゃないか。
自分だって昔はそうして遊んだだったんじゃないのか。
泥で遊ぼうとしたこと
セミの出来事のあと、雪ちゃんが泥で遊ぼうとしました。
子供が泥遊びをする、普通ですよね。
ですが、一瞬止めに入ることが頭をよぎりました。
汚いからやめておこうって。
実は公園で泥遊び、したことないんですよね。
理由は後から書きたいと思います。
一瞬迷った末に、私は「いいよ。」と返しました。
【泥で遊ぶ娘(泥団子作成中!)】
はぁ~、いつからこんなに潔癖になってしまったんだろうか?
のびのびと好きに遊ばせてやろうって考えていたのに。
モヤモヤとした気持ちがのこりました。
なぜ潔癖になってしまったのでしょうか?
もともと私はそんなに潔癖ではないと思っています。
そんな私がなぜ変わってしまったのか、自己分析してみることにしました。
コロナ禍の影響
雪と本格的に公園で遊び始めたのは約2年前(当時2歳)くらいからです。
コロナ禍となり、公園にいってもできるだけ人と交わらない、汚れない、触らない、という雰囲気で遊んできました(特に当初は過敏に)。
ですので、泥遊びなど汚れる遊びをしようと思ったことがありませんでした。
↓こちらの記事にも書きましたが、当時はシャボン玉をすることですら悩まされたのでした
コロナ禍で私自身、必要以上に神経質になっているのだと思います。
感染対策は必要ですが、泥で汚れることはコロナ対策の理由になっていません。
大人になってしまったから
もう一つは、自分自身大人になってしまったことが大きいと思います。
大人の都合を押し付けてしまっているのです。
昔は考えもしなかったことも知ってしまったことから、つい子供の可能性をつぶしてしいそうになります。
例えば、子供が家の周りのねこじゃらしをとってくること。
それに対して、動物がおしっこかけているから触らないでほしいと思ってしまうのです。
泥についても、汚れた場合の対処(洗ったり片づけたり)に付き合わされるのを自分で避けてしまっているのです。
「大人」とひとくくりにしましたが、寛大に対応されている親御さんには申し訳ございません。
結局は自分自身の未熟さだと感じています。
これからについて
過ぎたことをしんみりしていても仕方ありませんので、今後について考えたいと思います!
コロナが収まる、もしくは受け入れられるまで神経質になるのは仕方ありません。
私自身が大人になってしまったので、汚れをできるだけ避けたいのも仕方ありません。
ですので、今後について、出来ることで目標を立てたいと思います。
【目標】
「ばっちり汚れて良い準備(心も物理的にも)をしたうえで、泥遊びをする日を作る!」
虫に関しても、できるだけヤイヤイ言わないようにしようと心がけます!
私はさわりませんけど!
先回りせず、邪魔もせず、子供にどこまでさせてあげることができるか、適切に対応できるか、私自身試されている時だと感じています。
人はいつからでも変われる。
オッサンになってからでも、今からでも成長していかなければ、何も変わりません。
そう自分に言い聞かせました。
ブログを書きながら、謎の熱い気持ちになりました笑
今日はこれで終わりにしたいと思います。
ではまた!